イチロー引退会見にて「おめでとう」は違う?!卒業と引退の違いとは?
先日、イチロー選手が引退しました。
さすがに野球ファンはもちろんですが、日本国民でイチローを知らない人なんていないですよね。
世界一の記録を作ったイチローは日本人の誇りだろう。
その記録は永遠と語り継がれていくに違いない。
そんなイチローが引退会見を行ったのは記憶に新しいところだろう。
そしてこの記者会見での記者の投げかけた言葉に賛否両論となった。
記者会見の内容はYoutubeなどで多くアップされているので、見てない方は見た方が良いかもしれません。
かなり素晴らしい内容となっています。
問題となった記者の言葉は「引退おめでとう」という表現。
他の記者は「お疲れ様」と言う中、J-SPORTSの節丸さんが「引退おめでとうございます」と切り出した。
これに関してネットでは賛否両論と話題になりました。
このことについて考えてみたい。
この引退に対して「おめでとう」というのはアメリカでは当たり前のように使われることだそう。
私は日本人なのでここらへんはもちろん知りませんし、今回初めて知りました。
今回のイチローの引退にもヤンキースは「おめでとう、Ichiro」と記している。
最初に言っておくが、この件に関して正しいも間違ってるもありません。
それは受け手がどう取るのかであり、深い意味を探れば双方の意見も成り立つからだ。
というのは「おめでとう」の本意は、
・引退までこぎつけたこと
・大歓声まで浴びて引退することができたこと
・引退で一区切りをつけたこと
・これからの人生のスタートとなること
こういったことが引退に対しておめでとうの裏の考えだろう。
イチローのように引退を表舞台として行うことができる選手というのは本当に一握りもいないくらいの出来事でもある。
野球選手の多くは自然と消えていったりする中で、これだけの注目を浴びながら引退というのはたしかにおめでたいというのはわからなくもないところだろう。
これは日本人としては理解しがたい文化かもしれない。
私もこれまで生きてきたが、引退に対して「おめでとう」と感じたことや言ったことは記憶には全くない。
何かを自らの意思で辞めることに対して「おめでとう」と言うだろうか。
例えば、今の仕事を退職して転職するとしよう。
退職するものに対して「おめでとう」と言わないだろう。
もちろん、転職先が決まった段階で「おめでとう」となるわけだ。
あるいは定年退職であれば「おめでとう」となるだろう。
つまり、それまでの功績などを労う意味で、最初には「お疲れ様」が一般的に使われるわけだ。
それはイチローの引退会見で一人以外の方が「お疲れ様でした」と発していたことでもわかる。
それこそ「卒業」であれば、「おめでとう」という門出を祝う意味で一般的には使う。
しかし、卒業と引退というのは全く違うものであると思っている。
卒業と引退とは全く違うものと私は考えている。
ちなみに辞書で調べても卒業と引退は共に類義語としても表記されていなかった。
SNSでは卒業におめでとうと言うのだから、引退におめでとうというのは同じようなものという意見を見つけた。
これに関しては違うと考える。
それは卒業と引退は自分の意思が全く違うからだ。
卒業というと、学校が一番身近だろう。
義務教育であれば、卒業は自然とやってくるもの。
もちろん、高校でも大学でも卒業は普通にやっていれば、来るべき時に来るものだ。
時期まで決まっていることであり、それを自分の意思で早く卒業することはできない。
しかし、引退は時期を自分で決めることができる。
強制的に引退ということはまずないのだ。
あるとすればそれは「解雇」だろう。
卒業とは全く違う意味合いを持つのだ。
今回のイチローの引退で、おめでとうと思った方はいるだろうか?
たぶん、ほとんどいないはずだ。
スポーツ選手の現役引退というのはおめでたいことではないからだ。
それはなぜなのか?
答えは簡単。現役でやることに限界を感じたからだ。
つまり、年齢などにより能力が劣化してしまっているので、仕方なく引退することになるということ。
イチローも体力など肉体的にはまだまだ現役でいられたはずだろう。
しかし、動体視力などは衰えてきたのはたしかなはずだ。
それは東京ドームで結果を出せなかったことを見ればわかるところだ。
今季に入ってフォームが替わったというのも少なからず体や何かに変化があったからだろう。
スポーツ選手の引退の多くは「本当はもっとやりたい」「引退したくない」という気持ちは少なからずあるのだ。
そして、多くのファンに惜しまれつつ引退するというのが常だろう。
特にイチローの場合は日本ではなく、もっと厳しいとも言われるメジャーリーグ。
試合に出してもらうことすら難しく、常にプレーを確約してもらえるような環境ではないわけだ。
本人も会見で話していたが、「いつクビになるかわからない」くらいのプレッシャーと戦っていた。
その環境の中では引退は仕方ないことなのだろう。
日本であれば、今季限りなどの選択肢があるかもしれないが、向こうではそれはないわけだ。
また、引退するケースには怪我で現役復帰が難しく引退というパターンもある。
こういった場合にも「おめでとう」と声をかけられるだろうか。私にはできない。
イチローは東京ドームで打ちたかった、それはファンも同じで打って欲しかった。
しかし、それができなかったことで、引退という流れになったわけだ。
会見でも「覆せなかった」と話している。
仮に東京ドームで活躍するようであれば、イチローは現役を続けた可能性は否定できない。
キャンプ終盤で決まっていたとしても、覆すつもりがあったことは会見でもわかる。
本人としても悔しいに違いないだろう。
そこで「おめでとう」と声をかけることは私にはできない。
やはり一般的にはおめでとうはふさわしくないように感じてしまう。
イチローは自身で以前に「最低50歳まで現役でいたい」と発言していた。
これは引退会見でも「有言不実行ですよね」と自身で語っていた。
ファンからすれば、50歳までの現役を期待していた方が多かっただろう。
そして、高齢でもヒットを量産し続けるイチローを見たかったはずだ。
試合前のバッティング練習では柵超え連発で、そこまで衰えている感じもしなかったくらいだ。
やはり引退は残念でしかない。
残念な引退に対して、何がおめでたいのかは理解しがたいだろう。
イチローの引退に対してかける言葉は個人の自由だ。
これは勘違いして欲しくない。
ただ私はイチローに「お疲れ様でした。多くの感動をありがとうございます」という言葉を送るだろう。
だから、今回の節丸さんという方が「おめでとうございます」と発したことは別に悪いことでもないし、
間違ってることでもない。
それは彼なりのイチローに対しての言葉であり、言論の自由というものがあるわけだ。
ただ、多くの視聴者がいるような会見での言葉として、いろいろな誤解や賛否を生むような発言にはなってしまったように思える。
実際に失礼だと感じる人も多くいたようだ。
そして、アメリカでは普通ということを聞いてから手のひらを返した人も多い。
これはアメリカが正しいとか、そういうことではないと思う。
文化の違いであり、こういったことはこの件に限らず存在することでもある。
本人はその後のツイートで上記のように話している。
失礼かどうかは受け手がどう感じるかであるので、
イチローはこれに対して失礼とは感じていないことはたしかだろう。
ただ、この会見を見ている視聴者で失礼と思った人はそれなりにいたのも事実だ。
だからといって、失礼なことをしたわけではないということは知っておきたい。
失礼と感じるのも個人の自由だ。
失礼と感じた人を逆に批判するのもおかしなことだということだ。
イチローほどの偉大な野球選手はなかなかいないわけであり、
国民の多くが反応を示した件でもある。
だからこそ、いろいろな思いをみんな抱えてるのだろう。
その中で私は「おめでとう」とは言えないなと個人的に感じたわけだ。
こういったことに対して、正しいか間違いかを決めたがる国民審判が非常に多いですよね・・・。
すべての事柄に答えがあるわけではないだろう。
さすがに野球ファンはもちろんですが、日本国民でイチローを知らない人なんていないですよね。
世界一の記録を作ったイチローは日本人の誇りだろう。
その記録は永遠と語り継がれていくに違いない。
そんなイチローが引退会見を行ったのは記憶に新しいところだろう。
そしてこの記者会見での記者の投げかけた言葉に賛否両論となった。
記者会見の内容はYoutubeなどで多くアップされているので、見てない方は見た方が良いかもしれません。
かなり素晴らしい内容となっています。
問題となった記者の言葉は「引退おめでとう」という表現。
他の記者は「お疲れ様」と言う中、J-SPORTSの節丸さんが「引退おめでとうございます」と切り出した。
これに関してネットでは賛否両論と話題になりました。
(記者)
— 爱丽丝(アリス) (@Jb5BPLX7249Wo8N) 2019年3月21日
引退おめでとうございます!
(俺ら)
( 'ω')ふぁっ
今なんて?
(記者の心の声)
あれ?おかしな事言ってますか僕。大丈夫ですか?#イチロー #イチロー会見 pic.twitter.com/PWDcpuPexL
このことについて考えてみたい。
イチロー引退会見にて「おめでとう」は違う?!卒業と引退の違いとは?
引退におめでとうはアメリカではよくあること
この引退に対して「おめでとう」というのはアメリカでは当たり前のように使われることだそう。
私は日本人なのでここらへんはもちろん知りませんし、今回初めて知りました。
今回のイチローの引退にもヤンキースは「おめでとう、Ichiro」と記している。
最初に言っておくが、この件に関して正しいも間違ってるもありません。
それは受け手がどう取るのかであり、深い意味を探れば双方の意見も成り立つからだ。
というのは「おめでとう」の本意は、
・引退までこぎつけたこと
・大歓声まで浴びて引退することができたこと
・引退で一区切りをつけたこと
・これからの人生のスタートとなること
こういったことが引退に対しておめでとうの裏の考えだろう。
イチローのように引退を表舞台として行うことができる選手というのは本当に一握りもいないくらいの出来事でもある。
野球選手の多くは自然と消えていったりする中で、これだけの注目を浴びながら引退というのはたしかにおめでたいというのはわからなくもないところだろう。
日本人としては理解しがたい
これは日本人としては理解しがたい文化かもしれない。
私もこれまで生きてきたが、引退に対して「おめでとう」と感じたことや言ったことは記憶には全くない。
何かを自らの意思で辞めることに対して「おめでとう」と言うだろうか。
例えば、今の仕事を退職して転職するとしよう。
退職するものに対して「おめでとう」と言わないだろう。
もちろん、転職先が決まった段階で「おめでとう」となるわけだ。
あるいは定年退職であれば「おめでとう」となるだろう。
つまり、それまでの功績などを労う意味で、最初には「お疲れ様」が一般的に使われるわけだ。
それはイチローの引退会見で一人以外の方が「お疲れ様でした」と発していたことでもわかる。
それこそ「卒業」であれば、「おめでとう」という門出を祝う意味で一般的には使う。
しかし、卒業と引退というのは全く違うものであると思っている。
卒業と引退は全く違う
卒業と引退とは全く違うものと私は考えている。
ちなみに辞書で調べても卒業と引退は共に類義語としても表記されていなかった。
SNSでは卒業におめでとうと言うのだから、引退におめでとうというのは同じようなものという意見を見つけた。
これに関しては違うと考える。
それは卒業と引退は自分の意思が全く違うからだ。
卒業というと、学校が一番身近だろう。
義務教育であれば、卒業は自然とやってくるもの。
もちろん、高校でも大学でも卒業は普通にやっていれば、来るべき時に来るものだ。
時期まで決まっていることであり、それを自分の意思で早く卒業することはできない。
しかし、引退は時期を自分で決めることができる。
強制的に引退ということはまずないのだ。
あるとすればそれは「解雇」だろう。
卒業とは全く違う意味合いを持つのだ。
スポーツ選手の現役引退はおめでたくない
今回のイチローの引退で、おめでとうと思った方はいるだろうか?
たぶん、ほとんどいないはずだ。
スポーツ選手の現役引退というのはおめでたいことではないからだ。
それはなぜなのか?
答えは簡単。現役でやることに限界を感じたからだ。
つまり、年齢などにより能力が劣化してしまっているので、仕方なく引退することになるということ。
イチローも体力など肉体的にはまだまだ現役でいられたはずだろう。
しかし、動体視力などは衰えてきたのはたしかなはずだ。
それは東京ドームで結果を出せなかったことを見ればわかるところだ。
今季に入ってフォームが替わったというのも少なからず体や何かに変化があったからだろう。
スポーツ選手の引退の多くは「本当はもっとやりたい」「引退したくない」という気持ちは少なからずあるのだ。
そして、多くのファンに惜しまれつつ引退するというのが常だろう。
特にイチローの場合は日本ではなく、もっと厳しいとも言われるメジャーリーグ。
試合に出してもらうことすら難しく、常にプレーを確約してもらえるような環境ではないわけだ。
本人も会見で話していたが、「いつクビになるかわからない」くらいのプレッシャーと戦っていた。
その環境の中では引退は仕方ないことなのだろう。
日本であれば、今季限りなどの選択肢があるかもしれないが、向こうではそれはないわけだ。
また、引退するケースには怪我で現役復帰が難しく引退というパターンもある。
こういった場合にも「おめでとう」と声をかけられるだろうか。私にはできない。
イチローは東京ドームで打ちたかった、それはファンも同じで打って欲しかった。
しかし、それができなかったことで、引退という流れになったわけだ。
会見でも「覆せなかった」と話している。
仮に東京ドームで活躍するようであれば、イチローは現役を続けた可能性は否定できない。
キャンプ終盤で決まっていたとしても、覆すつもりがあったことは会見でもわかる。
本人としても悔しいに違いないだろう。
そこで「おめでとう」と声をかけることは私にはできない。
イチローの引退は残念でしかない
やはり一般的にはおめでとうはふさわしくないように感じてしまう。
イチローは自身で以前に「最低50歳まで現役でいたい」と発言していた。
これは引退会見でも「有言不実行ですよね」と自身で語っていた。
ファンからすれば、50歳までの現役を期待していた方が多かっただろう。
そして、高齢でもヒットを量産し続けるイチローを見たかったはずだ。
試合前のバッティング練習では柵超え連発で、そこまで衰えている感じもしなかったくらいだ。
やはり引退は残念でしかない。
残念な引退に対して、何がおめでたいのかは理解しがたいだろう。
まとめ
イチローの引退に対してかける言葉は個人の自由だ。
これは勘違いして欲しくない。
ただ私はイチローに「お疲れ様でした。多くの感動をありがとうございます」という言葉を送るだろう。
だから、今回の節丸さんという方が「おめでとうございます」と発したことは別に悪いことでもないし、
間違ってることでもない。
それは彼なりのイチローに対しての言葉であり、言論の自由というものがあるわけだ。
ただ、多くの視聴者がいるような会見での言葉として、いろいろな誤解や賛否を生むような発言にはなってしまったように思える。
実際に失礼だと感じる人も多くいたようだ。
そして、アメリカでは普通ということを聞いてから手のひらを返した人も多い。
これはアメリカが正しいとか、そういうことではないと思う。
文化の違いであり、こういったことはこの件に限らず存在することでもある。
「引退おめでとうございます」はイチロー選手への最大限の敬意を込めた僕の気持ちなので、イチロー選手本人に気持ちが伝わっていてくれたら十分です。聞いてた方々で分かってくれる人が分かってくれれば嬉しいですが、イチロー選手への言葉なので、気に入らない方はスルーしてください。
— 節丸裕一 (@setsumaruyuichi) 2019年3月22日
本人はその後のツイートで上記のように話している。
失礼かどうかは受け手がどう感じるかであるので、
イチローはこれに対して失礼とは感じていないことはたしかだろう。
ただ、この会見を見ている視聴者で失礼と思った人はそれなりにいたのも事実だ。
だからといって、失礼なことをしたわけではないということは知っておきたい。
失礼と感じるのも個人の自由だ。
失礼と感じた人を逆に批判するのもおかしなことだということだ。
イチローほどの偉大な野球選手はなかなかいないわけであり、
国民の多くが反応を示した件でもある。
だからこそ、いろいろな思いをみんな抱えてるのだろう。
その中で私は「おめでとう」とは言えないなと個人的に感じたわけだ。
こういったことに対して、正しいか間違いかを決めたがる国民審判が非常に多いですよね・・・。
すべての事柄に答えがあるわけではないだろう。
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